想いはそこにある プロローグ〜第2話

【ストレス解消の新習慣】読書が心を癒す理由、知ってる?

全15話 読了時間:2〜3時間

プロローグ:揺らぐ記憶と新たな風

車窓から流れる風景をぼんやりと眺めながら、真中慎司は不思議な気持ちに包まれていた。10年ぶりに戻る故郷・楠木町。都会の生活に疲れ切った自分を癒すための帰郷だったはずなのに、車が町に近づくほど、胸の奥に小さな違和感が広がっていく。

「こんなに変わるもんか……」

つぶやいた声は、車内の静けさに吸い込まれた。昔は静かな田舎町で、夕方には人通りも少なくなる場所だった。しかし、今見えるのは整備された道路、カフェや土産物店が並ぶ観光地らしい街並み。至るところに掲げられた「楠の茶」や「楠の蜜菓子」の看板には、「幸福感をあなたに」というキャッチコピーが踊っている。

真中慎司(まなかしんじ)

慎司は車を市場の近くで停め、少し歩いてみることにした。市場には観光客があふれ、笑顔で特産品を買い求める姿があちこちで見られる。地元の店員たちも活気に満ちた声で客を呼び込み、その様子は明るく、賑やかだった。

しかし、慎司の胸に生まれる違和感は強まるばかりだった。

「何だろう……この妙な感じ。」

市場を歩きながらふと目に入ったのは、道端に座り込む中年男性だった。男性は地面に指で何かを描きながら、ぼそぼそとつぶやいている。

「御神木が……呼んでいる……」

慎司は足を止め、その男をじっと見つめた。地面には奇妙に歪んだ木の絵が描かれている。幹がねじれ、枝が絡み合い、現実には存在しないような不気味な形だ。

「何だあれ……」

「慎司!」

突然背後から声をかけられ、慎司は驚いて振り返った。そこにいたのは、幼なじみの高梨セリナだった。肩までの髪を揺らし、笑顔で駆け寄ってくる彼女は、昔と変わらない親しみやすさを漂わせている。

高梨セリナ(たかなしせりな)

「帰ってくるなんて聞いてないよ!びっくりした!」

「セリナ……久しぶりだな。お前、全然変わらないな。」

「そりゃどうも!慎司のほうこそ都会に行って洗練されたかと思いきや、全然そのまんまだね。」

軽口を叩き合いながらも、慎司の視線は先ほどの男に引き寄せられていた。しかし、気づけばその男の姿は消えていた。

「何見てるの?」

セリナが不思議そうに尋ねる。慎司は曖昧に首を振った。

「いや、何でもない。それより、この町、随分変わったな。」

「そうでしょ?楠の茶と蜜菓子が大人気でね、観光客が押し寄せるようになったの。昔とは全然違うよ。でもね……」

セリナの声が急に小さくなった。

「何だ?」

「町の人たち、みんな笑顔なんだけど……なんか、無理してる感じがするっていうか……」

慎司は市場の賑わいを眺めながら、セリナの言葉に耳を傾けた。観光客たちは確かに楽しそうだが、地元の店員たちの笑顔にはどこか不自然さがある。無理に明るく振る舞っているような違和感が、慎司の目にも映った。

「それにね、御神木の話、覚えてる?」

「御神木……楠神社の?」

「あの大きな木だよ。今では観光スポットになってるんだけど、最近妙な噂が多くてさ……」

セリナの話に慎司の記憶がよみがえる。かつて父親が言っていた言葉――「御神木には秘密がある」。慎司の父親は、その秘密を探ると言い残したまま、10年前に忽然と姿を消したのだった。

「父さん……」

慎司は呟きながら、御神木に関する言葉が頭の中でこだまするのを感じた。その秘密が、今の町の繁栄や違和感とどう関係しているのか。胸の奥に広がる疑問は、徐々に慎司の足を楠神社へと向かわせていく。


第1話

「懐かしい景色、って言いたいけど……正直、驚いたな。」

慎司は市場の賑やかさを眺めながら、思わずつぶやいた。目の前に広がるのは、記憶の中とはまるで違う光景だ。整備された道路、観光客で賑わう市場――10年前、静かな田舎町だった楠木町は、すっかり観光地化されていた。

「本当、別の町みたいでしょ?私も最初は慣れるのに時間かかったよ。」

隣で笑顔を浮かべるセリナは、昔と変わらず明るく、親しみやすい雰囲気を持っている。しかし慎司は、その表情にどこか影があるような気がしてならなかった。

「でも、変わったのは町だけじゃないよね。」

「どういう意味?」

セリナの問いかけに、慎司はふと立ち止まった。彼女の顔を見ると、記憶の中の幼い頃の彼女が重なる。

「お前、すごく大人っぽくなったよ。昔はもっと、こう……泥だらけで走り回ってたのにな。」

「失礼な!女の子にそんなこと言う?まあ、あの頃は確かに野生児みたいだったけどさ。」

二人は目を合わせて笑い合う。慎司にとって、こんなに心から笑うのは久しぶりだった。

子ども時代の思い出

市場を抜け、二人は川沿いの遊歩道へと向かった。観光客の喧騒から少し離れたその場所は、かつて二人がよく遊んだ場所でもある。

「覚えてる?あの木の下でよく秘密基地ごっこしてたの。」

セリナが指さした先には、大きな楠の木が立っている。その周りには新しい遊歩道が整備されているが、木そのものは変わらずそこにあった。

「もちろん覚えてるさ。お前が無理やりリーダーになって、俺に雑用ばっかり押し付けてたのもな。」

「そんなこと言わないでよ!慎司がリーダーやりたがらなかっただけでしょ?」

昔の記憶を語り合いながら、慎司は胸に暖かい感覚が広がるのを感じていた。都会での忙しさやストレスに押しつぶされそうだった日々が、少しずつ遠ざかっていく気がした。

セリナの変化

「でもさ、今はもう、あんな風に無邪気に遊ぶなんてできないよね。」

セリナの声が少し低くなる。慎司はその変化に気づき、彼女の顔を覗き込んだ。

「どうした?何かあったのか?」

「別に……何でもないよ。ただ、昔は良かったなって思っただけ。」

慎司はそれ以上何も言わなかったが、彼女が何かを抱えているのは明らかだった。10年という時間が二人の関係を変えていないようで、実は確実に変えていることを、慎司は強く感じた。

田代優菜との出会い

二人が歩き続ける中、慎司の視界に一人の少女が映った。彼女は遊歩道の端にしゃがみ込み、何かをノートに書き込んでいる。制服姿からして中学生くらいだろうか。

「何してるんだろう……?」

慎司が小声でつぶやくと、セリナが足を止めた。

「あの子、田代優菜ちゃん。地元じゃちょっと有名な子だよ。」

「有名?」

「うん。歴史とか郷土についてやたら詳しくてさ。よく神社や町の資料館に行ってるみたい。」

慎司は興味を引かれ、優菜に声をかけた。

「おーい、何してるんだ?」

優菜は驚いたように顔を上げ、慎司をじっと見つめた。

「……おじさん、誰?」

田代優菜(たしろゆうな)

「お、おじさん?」慎司は苦笑いを浮かべながら言った。「俺は真中慎司。この町の出身なんだ。帰ってきたばかりで、いろいろ懐かしくてさ。」

優菜は慎司をじっと見つめたままだったが、やがて小さく頷いた。

「そうなんだ。じゃあ、この町のこと、昔のままだと思ってるんだね。」

「え?」慎司は思わず聞き返した。

優菜はノートを閉じて立ち上がり、慎司とセリナを交互に見た。

「昔のままじゃないよ。この町は変わってる。いい意味でも、悪い意味でもね。」

その言葉に、慎司の中でふと何かが引っかかった。

優菜の謎めいた言葉

「どういう意味なんだ、それ?」慎司が尋ねると、優菜は少し困ったように笑った。

「それは自分で調べてみたらいいよ。きっと、いろんなことが見えてくると思う。」

優菜はそれだけ言うと、ノートを抱えて歩き出した。その後ろ姿を見送りながら、慎司はセリナに尋ねた。

「あの子、普段からあんな感じなのか?」

「まあね。ちょっと変わり者だけど、町のことを本当によく知ってるんだよ。きっと慎司も、彼女と話してたら面白いと思うよ。」

慎司は頷きながら、どこか引っかかるような感覚を覚えていた。優菜の「昔のままじゃない」という言葉。それが何を意味するのか、慎司はまだ理解していなかったが、妙に胸に残った。

第2話: 昔と今の距離

慎司とセリナは、川沿いの遊歩道をゆっくりと歩いていた。穏やかに流れる小川の音が、遠くで聞こえる市場の喧騒を柔らかく包み込んでいる。

「こうやって歩いてると、少しは昔の雰囲気が残ってる気がするな。」

慎司がそう呟くと、セリナは少し驚いたように顔を向けた。

「え、そう思う?私は、この辺りも変わりすぎて、懐かしいって感じることほとんどないけど。」

セリナの声には、どこか切なさが滲んでいた。

「でも、川とか木はあの頃と変わらないだろ。俺たち、よくここでカニ捕まえて遊んでたじゃないか。」

慎司が小さく笑いながら言うと、セリナもつられて笑顔を浮かべた。

「捕まえたはいいけど、カニに挟まれて泣いた慎司の顔、今でも覚えてるよ。」

「おい、そういうのは思い出にしまっておけよ!」

二人は昔話を交わしながら、気づけば足取りが軽くなっている。慎司にとって、この何気ない会話が久しぶりの安らぎだった。

セリナの夢と現実

「でもさ、本当はこんな町に戻るつもりじゃなかったんでしょ?」

セリナがふいに真剣な表情で問いかけてきた。

「どういう意味だ?」

「慎司は都会でバリバリ働いてるって聞いてたし、こっちに帰ってくる理由なんてないと思ってたから。」

慎司はその言葉に少し戸惑いながらも、静かに答えた。

「正直言うと、仕事に疲れてたんだよ。全部投げ出したくなって、気づいたらここに帰ってきてた。」

セリナは慎司の言葉を黙って聞いていたが、やがて小さく頷いた。

「慎司も大変だったんだね。」

慎司が問いかけるように視線を向けると、セリナはどこか懐かしそうに笑った。

「セリナは今何やってるんだ?聞きそびれてたけど。」

「えっとね、私は町でアート活動をしてるの。観光客向けに地元の景色を描いたりしてるんだ。」

「先月から、観光客向けにオープンアトリエを始めたんだ。」

慎司は少し驚いたように目を丸くした。

「お前、昔から絵を描くの好きだったよな。仕事にできてるなんて、すごいじゃないか。」

セリナは照れくさそうに笑った。

「ありがとう。でもね、最近はちょっと忙しくなりすぎて、自分が何をやりたいのか分からなくなる時もあるんだ。」

「忙しくなりすぎて?」

「うん、オープンアトリエ、思ったより上手くいってるの。観光客がたくさん来てくれるのは嬉しいんだけど、それでいっぱいいっぱいになっちゃって……。」

慎司はその言葉を聞きながら、ふとアトリエの方へ目を向けた。

ちょうど通りかかったその場所は、入口から観光客の行列ができていた。ガラス越しに中を覗こうとしたが、店内は賑わっていて、ほとんど隙間がない。

「すごいな……まるで人気のカフェみたいじゃないか。」

慎司が感心したように呟くと、セリナは肩をすくめて苦笑いした。

「ね?だから、今はなかなか自由に描く時間も取れなくて。でも、こんなにたくさんの人が私の絵を見てくれるなんて、嬉しいことなんだけどね。」

慎司は改めて、町が変わるということが人々にどんな影響を与えているのかを考え始めた。

再び優菜と出会う

遊歩道を歩き続けていると、慎司はふと昨日見かけた田代優菜の姿を見つけた。彼女は相変わらずノートに何かを書き込んでいる。

「またあの子か。」

慎司が呟くと、セリナが笑いながら答えた。

「熱心だよね、あの子。町の歴史とか、神社とか、普通の子なら気にしないことを調べてるんだよ。」

慎司は興味を引かれ、優菜に近づいて声をかけた。

「やあ、また何か調べてるのか?」

優菜は少し驚いたように顔を上げたが、慎司の顔を見るとすぐに表情を緩めた。

「あ、おじさん。帰ってきたんだね。」

「おじさんはやめろって言っただろ。それで、何をしてるんだ?」

「昨日と同じ。町のことを調べてるの。……おじさん、楠神社にはもう行った?」

慎司はその問いに少し驚きながらも頷いた。

「行ったよ。でも、なんでそんなこと聞くんだ?」

優菜は慎司をじっと見つめたあと、小声で言った。

「神社にはまだ見てないものがいっぱいあると思うよ。町の人が知らないことも、ね。」

その謎めいた言葉に、慎司は再び胸の奥に小さな引っかかりを感じた。

セリナと慎司の約束

その夜、慎司はセリナと一緒に夕食を取ることになった。地元の定食屋で、久しぶりの家庭的な味に舌鼓を打つ。

「セリナ、今日一日ありがとうな。お前がいなかったら、この町のことをほとんど忘れてたかもしれない。」

「そんなことないよ。慎司は昔から意外と記憶力いいじゃん。」

二人は笑い合いながらも、慎司は心の中でセリナに感謝していた。

「また明日も、少し付き合ってくれるか?もっと町を見て回りたいんだ。」

慎司の言葉に、セリナは少し驚いた表情を浮かべた。

「もちろんいいけど……本当にどうしちゃったの?慎司らしくないっていうか。」

「らしくないかもしれないけど、俺なりにこの町のことを知りたいんだ。多分、今の自分に必要なものがここにある気がするから。」

その言葉を聞いたセリナは、一瞬黙った後、小さく頷いた。

「分かった。でも、何か隠し事してるならちゃんと話してよね。」

慎司はその言葉に少し戸惑いながらも、曖昧に笑って返した。彼の胸の中には、父親の失踪や町の変化に対する疑問が渦巻いていたが、それをセリナに打ち明ける勇気はまだ湧かなかった。

第3話 次回から1記事1話掲載 残り13話

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