儀式の代償とセリナへの思い
「記憶を捧げるって……それ、本当に必要なんですか?」
セリナの問いに、宮司は重々しく頷いた。
「はい。こちらでも古い文献を見てみましたが、御神木は人々の記憶や感情に干渉する力を持っています。それを封じ込めるには、何かしらの大きな『記憶』が代償として必要みたいです。」
セリナは不安げに眉を寄せ、慎司を見つめながら口を開いた。
「それで……儀式は、いつまでに行えばいいんですか?」
その問いに、一瞬の沈黙が訪れる。慎司は目を伏せ、何かを飲み込むように短く息をついた。その様子に気づいた宮司が、慎司に視線を送りながら答えた。
「まだ……十分猶予はあります。文献に他の方法が載っていないか調べてみましょう。」
セリナは少しだけ安堵したように胸をなで下ろし、「そうですか」と小さく呟いた。しかし、その瞬間の慎司と宮司の間の視線の交錯――その微妙な空気には気づかなかった。
彼と宮司だけが知っている真実。それは、儀式を行う時間がほとんど残されていないということだった。
慎司と宮司の視線が一瞬交差した瞬間、優菜は小さく眉をひそめた。
普通なら気づかないような些細な間。しかし、彼女は見逃さなかった。慎司のわずかな目の揺らぎと、宮司の微妙な言い淀み。
(……なんで、慎司さんはあんな顔をしたの?)
優菜の指先がぎゅっとノートの端を掴んだ。慎司はセリナに気づかれないように振る舞っているつもりかもしれない。
(もしかして……時間がない?)
胸の奥に冷たいものが広がっていく。問い詰めるべきか迷ったが、慎司の表情は、それを許さないような硬さを帯びていた。
優菜は口を開きかけて、結局、言葉を飲み込んだ。
(……私たちには言わないつもりなんだ。)
彼女は静かに視線を落としたが、ノートを握る手に、微かに力がこもっていた。
慎司の迷い
慎司は町の川沿いを歩きながら、自分にとって「最も大切な記憶」とは何かを考えていた。しかし、その答えを見つけることができないまま、ただ流れる水をじっと見つめていた。
ふと、後ろから軽い足音が聞こえた。
「慎司さん、一人で考え込んでるの?」
慎司は驚いて振り返ると、優菜が小さく微笑みながら隣に腰を下ろした。

「考えないといけないことが山ほどあるんだ。」慎司はため息混じりに答える。
優菜は慎司をじっと見つめながら、ぽつりと言った。
「慎司さんにとって、一番大切なものって何?」
慎司はすぐに答えられなかった。だが、優菜は続ける。
「私、分かるよ。たぶん、セリナさんじゃない?」
慎司は思わず優菜の顔を見た。
「……なんでそう思うんだ?」
「だって、慎司さんがセリナさんを見るときの目、他の人とは全然違うもん。気づいてないかもしれないけど、特別な存在なんでしょ?」
慎司は言葉を失った。それを否定できないことに、自分自身が気づいてしまったからだ。
優菜の後押し
「慎司さん、ちゃんとセリナさんに伝えたほうがいいよ。」
優菜の言葉に、慎司は戸惑う。
「……伝えるって、何を?」
「大切な人が誰なのかってこと。」
慎司は視線を落としたまま、深く息を吐く。
「そんなこと、今さら伝えても……意味があるのか?」
「あるよ。」優菜ははっきりと答えた。
「だって慎司さん、私たちに何も言わず、一人で儀式をするつもりなんでしょ?」

慎司は驚き、優菜を見つめる。
「……知ってたのか。」
「うん。だって、慎司さんの顔見てたら分かるもん。最初から、一人で決めようとしてる顔だった。」
慎司は何も言い返せなかった。
「もし、儀式で記憶を捧げることになったら、その記憶が消える前に、ちゃんと時間を作らないと後悔するよ。」
慎司は優菜の言葉を噛み締めた。もし本当に、記憶を捧げることになったら——セリナとの思い出は、跡形もなく消えてしまう。
「……そう、だな。」
慎司はようやく小さく頷き、ポケットからスマホを取り出した。少し迷った後、セリナの連絡先を選び、通話ボタンを押す。
「……セリナ、ちょっと話せないか?」
電話をかける指が、かすかに震えていた。
セリナへの誘い
その夜、慎司はセリナを町の小高い丘に呼び出した。そこは二人が子どもの頃によく遊んだ場所だった。
「こんな時間に呼び出して、どうしたの?」
セリナが不思議そうに尋ねると、慎司は少し恥ずかしそうに笑った。
「たまには、昔みたいにゆっくり話したいと思ってさ。」
セリナは驚いた顔をしつつも、「ふーん」と微笑んで言った。
「珍しいね。でも、悪くない。」
思い出話と慎司の葛藤
二人は丘の上で景色を眺めながら、子どもの頃の思い出を語り合った。
「覚えてる?昔、ここで木登りして、あんたが落ちて泣いてたこと。」
セリナが笑いながら話すと、慎司は苦笑いを浮かべた。
「ああ、覚えてるよ。あのとき、お前が俺をからかいまくってたこともな。」
セリナは楽しそうに笑いながら続けた。
「そうだっけ?でも、あの頃は楽しかったよね。あんたと一緒にいると、毎日が冒険みたいで。」
その言葉を聞いて、慎司の胸は締め付けられるような感覚を覚えた。セリナとの思い出が、自分にとってどれほど大切なものだったのか、改めて実感したからだ。

セリナの言葉
ふとセリナが真剣な顔になり、慎司に向き直った。
「慎司、お父さんと同じようにあんたも儀式をするつもりなんでしょう。」
その言葉に慎司はハッとした。
「……セリナ。」
「それは絶対しないって約束して。まだ猶予はあるんだからみんなで他の方法を探し出すよ。」
慎司の決意
その夜、セリナと別れた後、慎司は丘の上に一人残った。静かな夜風が吹き抜ける中、彼は心の中で呟いた。
「俺にとって一番大切な記憶……。」
第12話につづく 最終話まであと4話
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